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マジシャンラッキー片山クロニクルその1
どうもラッキー片山です。今更ながらブログをはじめてみようと思います。
せっかくなので、今までほぼ全く語ることのなかったラッキー片山のマジッククロニクルを。もしご興味があれば。
まずは簡単に自己紹介を。
大阪のなんば心斎橋にあるマジックバー「バーマジックスーパーラッキー」のオーナーであり、マジシャンであり、催眠術師でもあります。マジック歴は25年、催眠術は9年ほどやってます。バーマジックスーパーラッキーは、お店を立ち上げてから5年ほどになります。
私のマジックの原体験は、子どもの頃に家族で乗った船(遊覧船みたいな)の中でやってたマジックのイベントです。なんというマジシャンかは覚えていませんが、腕ギロチンを演じてらっしゃって、幼心にものすごくビビった記憶があります。当時TVでみるマジシャンは、ミスターマリック氏やゼンジー北京氏、トランプマン氏などで、マジシャン=「うさんくさい」というイメージがその時にできあがった気がします。
小学生時代に自分でもマジックをやってみたくなり、図書館でマジックの本を借りて読んでみたり、百貨店でマジックの道具を買ってもらった記憶があります。小学校のお楽しみ会で披露して、ややすべった苦い記憶も・・・。マジックって難しいですよね笑
すっかりマジックの興味も薄れていた頃、大学に入学します。何かクラブ活動をしようと考えていたところ、おもしろそうなクラブがふたつ。「薬草研究会」と「奇術(マジック)部」でした。どっちでもいいかなーとフラフラ歩いていたところ、「奇術部」の部室を発見。そのままドアをノックして入部することになりました。ドアを開けた私の目に最初に飛び込んできたのは、強面の先輩が鬼の形相でオセロをうってるという意味不明かつ衝撃的な光景でした。もし先に発見したのが薬草研究会なら、今の私は間違いなくありません。運命とはおもしろいものです。
奇術部では、今私がメインでやっているクロースアップマジックではなく、ステージのマジックがメインでした。燕尾服を着て鳩をだしたり、イリュージョンをしたりみたいなやつです。練習嫌いで練習しなさすぎて、ドがつくほどマジックが下手くそでした。そして約2年ほどで奇術部を退部。フットサルのサークルを立ち上げ、大学生活の残り2年はサッカーボール蹴ってました。
大学卒業後にプロマジシャンになってマジックで食べていこうという考えは微塵もなかったので、普通に就職。会社員になります。時は氷河期、超が3つくらいつくブラックな企業に就職します。ラッキー片山サラリーマン編はなかなかの大長編なので割愛します、いつか機会があれば。サラリーマン時代、マジックは趣味や特技の範疇で細々やってました。
サラリーマン生活も7年8年経ったころ、ある話が舞い込んできました。とあるマジックバーに後輩が関わっており、未曾有のマジシャン不足でなんでもいいから手伝ってほしいとのこと。つづく。